ベッツェッキが初のポールポジション獲得! バニャイヤ3番手&クアルタラロ4番手|MotoGPタイGP予選



チャーン・インターナショナル・サーキットでMotoGP第17戦タイGPの予選が行なわれた。ポールポジションを獲得したのは、VR46のマルコ・ベッツェッキだった。

 MotoGPタイGPは初日、2日目と予報が外れて天候は晴れ。ドライコンディションで両日のセッションが行なわれ、予選も雨の不安が無い状態で行なわれることになった。

 気温は30℃、路面温度40℃、湿度71%と東南アジア開催らしく蒸し暑いコンディションだ。

 予選組分けではランキング3番手のアレイシ・エスパルガロ(アプリリア)が予選Q1スタートに含まれてしまった。中上貴晶の代役である長島哲太(LCRホンダ)、ジョアン・ミルの代役としてMotoGPに戻ってきたダニーロ・ペトルッチ(スズキ)もQ1スタートだ。

 Q1の注目はエスパルガロ、そして復帰3戦目にしてドライコンディションでも速さを見せつつあるマルク・マルケス(レプソル・ホンダ)に集まったことは間違いない。

 実際、マルケスは最初のアタックでいきなり1分30秒343をマークして暫定トップタイムに立つなど、Q1では際立った速さを見せた。エスパルガロはそれに次ぐ1分30秒967で2番手となった。

 その後エスパルガロは1分30秒609まで自己ベストを改善するが、カル・クラッチロー(RNFヤマハ)が1分30秒542を記録したことで、Q2進出圏外の3番手に弾き出されてしまった。

 マルケスは早めにピットへ戻っていたことから、体力温存でこのままピット内に留まるかとも思われたが、Q1後半に再びコースへ戻った。

 3番手に弾き出されていたエスパルガロは、後半のアタックで1分30秒202と自己ベストを大きく更新。これで暫定トップタイムとなった。

 Q1最後のアタックでは多くのライダーが暫定最速タイムを超えるペースを発揮。タイム更新が相次いだ。

 ラストアタックで最速となったのは、1分30秒038を記録したマルケス。2番手にはミゲル・オリベイラ(KTM)が食い込み、この2人がQ2へ進んだ。長島は約1.3秒差の22番手、ペトルッチは1.56秒差の14番手でQ1敗退となった。

 そしてエスパルガロは3番手タイムで予選Q1敗退が決定。タイトル争いのライバルであるファビオ・クアルタラロ(ヤマハ)とフランチェスコ・バニャイヤ(ドゥカティ)がQ2で争う中、既に不利な状況になってしまったと言えるだろう。

 ポールポジションを決する注目のQ2は、いきなり激しいタイムアタック合戦が展開された。

 1回目のアタックからQ1でマルケスの記録したタイムを超える、1分29秒台が記録される具合で、まずはホルヘ・マルティン(プラマック)が1分29秒893で暫定トップに立った。2番手にはチームメイトのヨハン・ザルコが続き、彼も1分29秒963を記録している。

 3番手はジャック・ミラー(ドゥカティ)の1分30秒106であり、後半のアタックではレコード更新もありそうな雰囲気が漂った。

 なおコース上ではバニャイヤが自己ベストを更新し続け、残り3分という段階で1分29秒775をマークして暫定トップを更新した。

 マルティンはそのタイムも上回るペースを見せていたが、一瞬バランスを崩してアタックは不発。連続2周目のアタックに全力で挑んでいった。

 バニャイヤ超えのペースを刻むマルティンは、1分29秒692をマーク。レコード更新のタイムで暫定トップに……と思われたが、後方でアタックに入っていたマルコ・ベッツェッキが更にそれを上回る1分29秒671を記録。マルティンを打ち破り、ベッツェッキが初のポールポジションを獲得した。

 2番手はマルティン。泣きのもう1回で入った最終アタックで自己ベスト更新を果たしたが、PPにはわずかに及ばなかった。3番手はバニャイヤだ。4番手にはポイントリーダーのファビオ・クアルタラロが並んでおり、決勝レースではランキング首位と2番手の激しい争いに発展しそうだ。

 マルケスは最終的に8番手タイム。最後のアタックではリヤが滑るシーンもあったが無事走りきり、ホンダ勢最上位となった。

【ベッツェッキが初のポールポジション獲得! バニャイヤ3番手&クアルタラロ4番手|MotoGPタイGP予選】の続きを読む


猪木さん元付き人 蝶野正洋が追悼「闘魂について」



元プロレスラーで、元参議院議員の“燃える闘魂”アントニオ猪木(あんとにおいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ=)さんが1日7時40分、心不全のため79歳で、死去した。

 蝶野正洋が追悼談話を発表した。

 羽田空港で猪木さんの訃報を聞きました。飛行機の中でずっと心の整理がつきませんでした。猪木さんの体調については皆さんと同じように、YouTubeを見て把握していた状態でしたが、ついにきてしまったのか…という気持ちです。猪木さんは我々プロレス業界を含めて、多くの業界の方に影響を与えた人です。まだ気持ちの整理はつかないです。

 猪木さんの付き人を2年半務めて、闘魂三銃士という名前がついて、ここ最近、闘魂について考えていたところでした。その矢先に…力道山先生から引き継いでいる闘魂について、そのほかのことも、いろいろ猪木さんに聞きたかったです。

 我々は平成を舞台にしていましたが、猪木さんは昭和を舞台にしたスーパースターで背負っているものが違っていました。それだけのオーラがあって、責任感もありました。また努力を怠らなかったのを見てきました。最後の最後までアントニオ猪木であり、闘魂を貫かれたことには敬意の念しかありません。

 安らかなご永眠をお祈りいたします。

【猪木さん元付き人 蝶野正洋が追悼「闘魂について」】の続きを読む


アントニオ猪木氏が闘った“最後の敵”「心アミロイドーシス」とは



元プロレスラーで、元参議院議員の“燃える闘魂”アントニオ猪木(あんとにおいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ=)さんが1日7時40分、心不全により死去した。79歳だった。横浜市出身。

 “最後の敵”との戦いが終わった。晩年は長い闘病生活を送っていた猪木氏。20年7月には、19年秋に特定疾患に指定されている難病「心アミロイドーシス」に冒されていることを発表した。

 線維構造を持つ蛋白質であるアミロイドが、全身臓器に沈着することによって、心臓などが機能が障害を受ける病気だった。病状が進行すると収縮する能力が落ち、心不全や不整脈が発生する可能性もある大病だった。

 猪木さんは21年1月15日には、ツイッターで「腰の治療の為にしばらく入院致します」と報告。同3月1日の投稿ではリハビリする動画とともに「アントニオ猪木最強の敵と闘っています」とつづった。およそ3週間ぶりとなった同6月12日のYouTube動画では「腸が剥がれちゃったみたいで」と再入院を告白。ベッドに横たわるやせた姿に、心配の声が数多く寄せられていた。

 今年8月28日の24時間テレビに生出演したのが公の場に姿を見せた最後。「見た通りで、そのうちに死ぬ瞬間まで、必死に頑張っています」と語り、「1、2、3、ダーッ」も披露した。

【アントニオ猪木氏が闘った“最後の敵”「心アミロイドーシス」とは】の続きを読む


「ごぼうの党」奥野卓志氏 花束騒動の発端を告白 メイウェザーVS那須川天心で「憤りを覚えた」



2018年の大みそかに行われた、那須川天心とメイウェザーの一戦を見て憤っていたといい、「試合の前日にメイウェザーが自家用ジェットでやってきて、試合をする前にやるべきことがあるんですけど、その中の1つでバンテージチェックというものがあります。その時間に2時間以上、メイウェザーは遅刻してきて試合の直前になって、那須川天心選手に対して“俺が見ていないからバンテージを巻きなおせ”と言って、那須川選手のバンテージにはさみを入れた」と当時を振り返った。 続けて、「そのことによって、那須川選手は試合の前にアップをすることも出来なかったとYouTubeで語っています。私はこの件に関しても憤りを覚えたんですが、これがメイウェザーじゃなくて、日本人同士の選手だったらこんなことは許されるでしょうか?」と投げかけた。 「ごぼうの党」奥野代表は、同イベントNFTデジタルチケットを420万円で落札し、花束贈呈の権利を得たが、メイウェザー本人に花束を手渡さず、リングに投げつけた。会場のファンもネット上も騒然となり、RIZIN.38の第4試合終了後にリングに上がった榊原CEOは「神聖なリングに品性下劣な男を上げてしまったことをおわびします。世界中に日本人の恥をさらしたことが悔しい」と頭を下げた。 また、奥野氏は29日に公開されたユーチューバー・ヒカルの動画内で「何より、朝倉未来選手とメイウェザー選手ですね。試合が始まる前の空気を汚してしまったことを、お二人に謝罪させていただきたいと思います。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。

【「ごぼうの党」奥野卓志氏 花束騒動の発端を告白 メイウェザーVS那須川天心で「憤りを覚えた」】の続きを読む


羽生結弦さんが公式SNS開設 「よろしくお願いします」 幼少期の写真も公開



プロフィギュアスケーターの羽生結弦さん(27)=仙台市出身=が30日、交流サイト(SNS)のツイッターとインスタグラムでそれぞれ公式アカウントを開設した。所属事務所によると「なりすましなどではなく、公式で間違いない」という。 ツイッターのアカウント名は「羽生結弦officialStaff ( @YUZURUofficial )」。30日午前1時11分に「こちらが公式のTwitterアカウントになります。基本的にはスタッフさんによる運営となります。(中略)これからよろしくお願いいたします! 羽生結弦」と初投稿した。 インスタグラムのアカウント名は「 yuzuruofficial_ 」。ツイッターと同じ内容のメッセージを添え、幼少期の写真2枚を公開した。 8月に開設したユーチューブの公式チャンネルのコミュニティーにもSNS開設を報告。世界中のファンが英語や中国語、スペイン語など各国語で喜びのコメントを寄せた。 30日午前11時現在、ツイッターは6万3000人超、インスタグラムは8万2000人超のフォロワーが付いている。

【羽生結弦さんが公式SNS開設 「よろしくお願いします」 幼少期の写真も公開】の続きを読む


藤浪晋太郎の“メジャー移籍”報道に現地敏腕記者も沸き立つ。「かつてオオタニと並び称された存在」



 大阪桐蔭高で甲子園春夏連覇の原動力となった藤浪は世代最高のピッチャーと評され、2012年ドラフトでは4球団競合の末に阪神へ入団。1年目から先発枠に食い込んで10勝・防御率2.75の好成績を残すと、そこから3年連続2ケタ勝利を達成し、15年には奪三振王のタイトルに加えて、7完投・4完封ともリーグ1位と圧倒的な成績を残した。 高卒1年目から3年連続の2ケタ勝利は2001年の松坂大輔以来史上9人目、高卒3年目でのシーズン200奪三振は07年のダルビッシュ有以来の快挙というのだから、その才能は歴史的にも際立っていたのは間違いない。同い年の大谷翔平も15年に投手三冠を達成していたが、この時点では少なくとも投手としての実力は伯仲しており、まさにヘルナンデス氏の言葉通りである。 しかし、以降はこの時も弱点だった制球難がさらに悪化。二軍暮らしも長くなり、苦闘の日々が続くことになる。もっとも、今季は16登板(66.2回)して与四球率2.83とコントールが大きく改善しており、復活の気配が漂っていた。 海の向こうでは、大谷が二刀流として大活躍を続けている。藤浪自身もかねてからメジャーを夢見ており、“ライバル”から5年遅れで再び同じ舞台に立つのか。その去就に注目したい。

【藤浪晋太郎の“メジャー移籍”報道に現地敏腕記者も沸き立つ。「かつてオオタニと並び称された存在」】の続きを読む

このページのトップヘ